基本解説
向上線(こうじょうせん)とは生命線上から上に伸びる線です。
土星丘へ向かう線を努力線、土星丘へと向かう線を希望線とも言い区別しています。
努力線は第二の運命線とも言える相で、本人が努力を始めた時期から刻まれ始めます。
生命線上から生じた向上線が大きく伸びる場合、本人の努力によって運命が切り開かれていく事を暗示しています。
短かい向上線が数本刻まれる場合は、努力に永続性がなく移り気な性格であることを表しています。
流年 については諸説あり、運命線の流年に準ずる方法と、生命線とふれる位置を生命線の流年で見て開運時期を見るという方法がありますが、私は生命線の流年を採用しています。
ただし、太陽丘に伸びる向上線の場合、後者を採用します。
種類
向上線は向かう向きによって様々な意味合いが出てきます。
人差し指の付け根ならば権威・権力・目標を意味し、中指の付け根に向かうならば第二の運勢を意味し、薬指の付け根に向かうならば努力からの名声・成功を意味し、小指の付け根に向かうならば財運の開花を意味する、といった具合に、丘の影響を色濃く受けます。
・末端が水星丘へと向かう向上線
財運・金運を現す水星丘(小指の下)方向へと伸びれば、本人の努力によってお金を儲けられるという意味を現しています。不屈の精神で努力を重ね、独自のビジネススタイルを確立する事でしょう。
・末端が太陽丘へと向かう向上線
世間的な評価・成功を現す太陽丘(薬指の下)へと伸びれば、本人の努力が世間的に認められるという意味を現します。地道に努力を積み重ねていき、やがて人に認められるような境遇になるということですね。
・末端が土星丘へと向かう向上線
本人の立場・方向性を現す土星丘(中指の下)へと伸びれば、この向上線が第二の運命線となり運命線本線とは違った運命を同時に歩む事を示します。これを別名「努力線」と読んで区別しています。この努力線を持つ人は、この線が本業を表すパターンもあれば、別に運命線を持っている場合は副業を暗示することもあります。実際、私も努力線を持ちますが、本業以外に副業を持っており、そちらで成功した経緯があります。
・末端が木星丘へと向かう向上線
野心や希望を現す木星丘(人差し指の下)へと伸びれば、本人の努力により、野心が成就することを現します。地道な努力が上司や同僚に認められ、係長・課長・部長・・・と出世して、やがては権力を行使できる経営者側へ・・・といったストーリーが考えられますね!
・希望線
生命線と知能線との合流地点より、木星丘をのぼって人差し指付け根へと向かう線。若い頃から目的意識を持って努力をし、道を究めんとする人に現れる相。目上からの引き立てもあることでしょう。
変化
向上線は成長していく線です。
その人の努力の度合いによって、まるでたけのこが竹へと成長していくかのごとく、上へ上へと伸びていくのが、向上線の面白いところです。
ここでは努力線を参考として、成長の経緯について解説していきましょう。
向上線はかなり変化しやすい線で、本人が努力奮闘すると見る見るうちに強く、深く刻まれていきます。
自分が現在行っている努力がどの程度運気を強くしているかを知りたい場合、この向上線を一つのバロメーターとして見ると面白いでしょう
・複数の細かい努力線が生じつつある
努力を初めてはいるものの、まだ実りの段階にはない状態。あれこれと試行錯誤を繰り返しながら、複数の分野から自分にあったものを探しているような黎明期といえますね。
・複数の細かい努力線の中から1本が目立ち始める
色々と複数の分野に手を出していたが、やっと「これだ」と思える分野に的を絞れた状態。が、まだ知能線を超えていないため、実益にはあまり結びついていない。
・努力線が知能線を超える
いよいよ自分の実力が他者にも認められる程になってきた状態。明確で強いものならば、この状態でも十分強力な努力線と言えます。
・努力線が感情線を超える
自身の地道な努力がついに実を結び、大成した状態。努力のいかんによっては中指の付け根付近まで伸びていく。
・火星環と合流する
努力線は地道な努力を積み重ねていく人に現れる相。同時に、火星環は 孤立無援の辛く苦しい環境の中でも努力を積み重ねていった人に現れる相で、これらが伴って合流すると、努力によって成功を掴み取った成り上がりの人の手相となる。
筆者の例
筆者には左手に努力線があります。
この努力線が表すところは、おそらくは副業に由来するところと思います。
私がインターネットの副業を始めたのは今から15年程前で、当時本業の会社員の仕事がどうにもこうにもうまく行かず苦しんでいた時期でした。
仕事が嫌だ、働くのが嫌だ、だからなんとかして自分で食べていけるようにしようと思って、毎日ホームページ作りに勤しみました。それこそ、会社を帰った後に、そして土日を利用してプログラムを勉強して・・・当時としては個人のホームページこそ珍しいものだったので、専用のソフトも必要でしたし、色々と大変でした。
結果として競合相手がいない中で、私が作った手相のサイトは大ヒットしたわけですね。
その結果が努力線として現れたのだと思っています。
現在はインターネット全盛期で、手相のサイトもたくさん出てきました。
私のサイトの役目は終わったと思っていましたが、粗製乱造なサイトも多く「本当にこれでいいのかな?」と疑問を持つにいたり、改めて手相のサイトの更新を再開した経緯があります。
私は努力線の他に火星環を持っておりますが、孤立無援の状態で一人黙々とやってきて成功を掴んだので、それが火星環に現れたのかなと思っております。