運命線(写真解説)

第一火星丘から生じる運命線(写真解説)

基本解説

第一火星丘親指の付け根のプックリした部分の上部。
金星丘の上の部分で、親指付け根より上の部位ですね。

第一火丘は積極性を暗示する部位。

この部位から運命線が立ち昇るということは、非常に積極的な活動をするタイプの運勢を歩むということになります。
これは別名「火星環」といい、混乱の中から幸運をつかむのが上手いタイプとされていますね。

私は両手共にこの火星環が明瞭に出ているのですが、確かに人生の混乱の中で成功を掴んできました。

第一火星丘から生じる運命線(写真解説)

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ワタクシめの左手。
例によって汚い手でスイマセンねぇ・・・。

「働き者のキレイな手だわ」と言ってくれる嫁さんがほしいんですが、結婚運があまりよろしくないタイプなので、もう半ば諦めてます。
34歳にもなれば、もう結婚は無理かねぇ。

まぁそんな管理人の愚痴を聞いてもらっても仕方ないので、とりあえず写真を見ていただきましょう。

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黄色が火星環。
第一火星丘から生じているのがわかるでしょう。

第一火星丘から生じる運命線(写真解説)

この運命線に、運命線自体の流年法が適応できるかという大きな問題があるのですが、もし適応できるとするならば、火星環が運命線の刻まれるべき場所である中指下のラインに入り込んだ35歳前後から影響力を強める、といった感じでしょう。

私の人生と手相をよくよく照らしあわせて解説していくと、27・28歳頃に仕事上での重大なトラブルを背負い込み、鬱病・人間不信となる。
仕事線が運命線を切っている時期ですねぇ・・・・この時期はまさに地獄。
周りで人はたくさん死んでいき、次は俺か?と思うような悲惨な状態でした。
上司の自殺の一報を電話で受けたり、職場長が労災でなくなった後、身寄りがない人なので私が火葬場で骨を箸で拾ったりと、凄まじい状態でした。
工事を依頼していた昔からお世話になっていた電気工事業者の親方が、仕事半ばで腹膜炎を起こし亡くなられた後、仏壇の前で専務と一緒に、奥さんに工事代金500万円返却を請求したこともあります。

5億円ほどの生産ラインの導入が遅々として進まず、毎日深夜まで働いていました。
毎日泣きながら帰ったものです。

私の心は荒れ果て、結果休職したあとまた復職するものの、結局ものにならず退職するという定番の流れでしたね。

休職に至ったのが仕事線が運命線を斜めに横切っている28歳手前頃。

第一火星丘から生じる運命線(写真解説)

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右手を見ると、こちらもやはり仕事線が27歳前後に横たわっていますねぇ・・・。
両手共に仕事線から伸びた線が斜めに運命線を切るのですが、右手はこの仕事線にがある。
私は半年ほど休職していたので、おそらくそのためでしょう。
なので「休職の相」は「仕事線が伸びて斜めに運命線を切る」という事なのでしょう。

第一火星丘から生じる運命線(写真解説)

その後30歳頃に会社をやめた後、手相芸人が世間を騒がすようになり、私のサイトがyahoo!の占いページで紹介されるなど、一気に運勢が上昇。

右手にもやはりピンク色で示した火星環が生じておることからも、火星環を持つ人というのは「混乱の中から成功を掴んでいくタイプ」なのだということは明らかですね。

地獄のどん底から這い上がり、劇的な幸運を経て今では大企業の社員としてのほほんと仕事をしている。
火星環を持つ人は、おそらくは過去にとんでもない不運を背負い込むことになった人でしょう。

けれどもその不運は、その人の人生に対する考え方を大きく変えることになる。
私の場合、人生に対する考え方が180度変わってしまった。

正直、前の会社でこれだけ苦労しなければ、手相家としてここまで成長することはなかったでしょう。

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左手の火星環が、ある時期に黄緑色の努力線に流れ込んでいますね。
流年法的に見て45歳前後。
右手を見ると、運命線が寵愛線にクロスする部位であり、かつますかけ線が運命線とクロスする時期が45歳。

果たして45歳前後、私に何が起きるのか!

情報が入り次第、追って解説するッ!

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